フィレンツェの赤い屋根がテレビ画面に映し出された瞬間、なぜか胸が熱くなった。イタリア中部のこの街には、私の知らない記憶が眠っているような気がしてならない。世界いただきグルメという番組で紹介されたフィレンツェの街並みは、まるで絵本から飛び出したような美しさだった。石畳の路地、ルネサンス様式の建築物、そして陽の光を浴びて輝くドゥオモの姿を見たとき、不思議と肩の力が抜けていくのを感じた。
「あの街に行けば、何かが変わるかもしれない」
そんな直感が頭をよぎった。フィレンツェといえば、私にとって特別な意味を持つアガスティアの葉との奇妙な縁を思い出さずにはいられない。アガスティアの葉とは、南インドに伝わる神秘的な運命の記録だ。私が35歳の時に開いた第1章には、驚くべきことが書かれていた。普通は人生の終わりまで読まれる葉が、私の場合35歳で終わっていたのだ。
「葉が全部読まれなかったのは、当時お世話になっていたカウンセラー先生と私だけ。100人近く読んでいた先生も、こんな例は珍しいって言ってたわ」
50人に1人という稀なケース。最初は戸惑いもあったが、今では全て読まれなくて良かったと心から思っている。なぜなら13章と14章を開けたことで、もっと深い真実を知ることができたからだ。まるで星の巡り合わせのように、全てが繋がっている気がしてならない。
「粉にもちゃんと意味があるって書いてあった。持って生まれた性格とかね。録音を聞いたら、私の声がずっと泣き声で…」
葉には「愛を表現できない」「愛に無関心」という衝撃的な指摘があった。皮肉なことに、エンライトメントさんのセッションで「愛を生きる」が今世の目的だと告げられた時の驚きといったらない。まるでジグソーパズルのピースがはまるように、全てが繋がり始めた瞬間だった。
33歳から35歳にかけて「人生に良い変化が起こる」と予言されていた葉の言葉。振動数を知ったまさにその時期に、私は大きく変わっていった。医療関係の仕事に全く興味がなかった私が、前世で看護婦をしていたと知った時の衝撃は今でも忘れられない。
「だから無意識に医療関係を避けてたのね!幼なじみが看護科に行くって言ってたのに、私は普通科を選んだ。医療事務の給料が高いのも知ってたのに、あえて選ばなかった」
前世のカルマが今世の選択に影響を与えていた。インドでカルマ解消をする代わりに、高額な代行サービスを利用したことさえあった。今思えば、お金の流れを把握できていなかったあの頃。YOKOさんが言う「知らず知らずにお金がなくなる人」の典型だったかもしれない。
「13章と14章の葉の料金、振動数トレーニングコースの受講料を比べたら、お釣りがくるくらいの差があったわ!」
前世がカトリック信者だったことも、葉から明らかになった。インドにカトリックの教会があることに驚いたのもつかの間、祈祷場所が特定されていく不思議な感覚。アガスティアの葉を開ける前は、イタリアに全く興味がなかった私が、今では中部地方の料理に特別な親近感を覚えるようになった。
「史恵さんがイタリア好きって聞いた時、なんだかドキッとしちゃった。地図を見ながら、きっとこの辺りに縁があったんだろうなって勝手に想像してるの」
テレビでフィレンツェを見た時のあの感覚は、過去の自分からのメッセージだったのかもしれない。外が怖くて下を向いて歩いていたあの頃の私に、今の私は大声で伝えたい。
「大丈夫!私たちは楽しく生きてるよ!」
飛行機も船も苦手だから、簡単には行けないかもしれない。でも、それでいいのだ。振動数セミナーに参加した時のあの高揚感を思い出すだけで、心はもうフィレンツェの空の下にいる。石畳の路地を歩き、ルネサンスの芸術に触れ、イタリア料理を味わう日が来ると信じて。
「きっと前世の私も、今の私を応援してくれてるはず」
フィレンツェへの旅は、まだ実現していない。しかし、心の中ではすでに何度も訪れているような気がする。アガスティアの葉が教えてくれた縁(えにし)は、時空を超えて私を導いてくれるに違いない。
詳細
の私と同じように、フィレンツェの美しい街並みに心を奪われていたに違いない。アガスティアの葉が教えてくれたのは、単なる運命の記録だけではなかった。それは過去と現在を繋ぐ架け橋であり、自分自身の深層心理を理解するための鍵だったのだ。葉に書かれた「愛を表現できない」という言葉は、今では私にとっての成長の証しに感じられる。あの頃は受け入れられなかった真実も、時間をかけて咀嚼することで、ようやくその意味を理解できるようになった。
振動数トレーニングを受けたことで、自分の中に眠っていた医療への興味が目覚めたのも不思議な縁だ。前世で看護婦をしていたという記憶は、今の私の選択に確かに影響を与えている。医療事務の仕事を選ばなかったのは、単なる偶然ではなく、もっと深い理由があったのかもしれない。カルマ解消のためにインドを訪れたことも、全ては必要なプロセスだったのだろう。当時は高額な費用に戸惑ったものの、今ではその経験が自分を成長させてくれたと感謝している。
フィレンツェへの憧れは、単なる旅行願望を超えたものだ。あの街には、私の魂が覚えている何かがあるような気がしてならない。テレビで見た赤い屋根の風景は、まるで懐かしい記憶を呼び起こすように胸に響いた。前世でカトリック信者だったという葉の記録も、イタリアへの特別な感情を説明してくれるかのようだ。中部地方の料理に親近感を覚えるのも、きっと偶然ではないのだろう。
史恵さんがイタリア好きだと聞いた時、なぜか強い共感を覚えたのも、この繋がりを考えると納得がいく。地図を見ながらフィレンツェの位置を確認するたびに、どこか懐かしい気持ちになる。飛行機が苦手で簡単には行けないとしても、心の中ではもう何度もあの街を訪れている。振動数セミナーで感じたあの高揚感は、フィレンツェの空気とどこか似ているような気がする。
「きっと、いつか本当に行ける日が来る」そう信じて、今日もフィレンツェの写真集を開いてみる。ルネサンスの芸術に囲まれたあの街で、石畳の路地を歩く自分を想像するだけで、心が軽くなる。アガスティアの葉が教えてくれた過去の記憶と、今の私が感じるフィレンツェへの憧れ。それらが一つに繋がった時、また新たな発見があるに違いない。全ては必要なタイミングで起こる。焦らずに、しかし確実に、その日に向かって進んでいこうと思う。

まとめ
フィレンツェの街を歩いていると、どこからか香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。カフェのテラス席でエスプレッソを飲みながら、ふとアガスティアの葉のことを思い出した。あの葉に書かれていた「粉にも意味がある」という言葉が、今になってようやく理解できる気がする。コーヒー豆を挽く時のあの音、深みのある苦味、そしてほのかな甘み。全てが調和しているように、人生にもそれぞれの意味があるのだろう。フィレンツェのカフェで過ごす時間は、まるでタイムスリップしたかのようだ。ルネサンス期の面影を残す街並みを見ていると、自分が大きな歴史の流れの中の一部であることを実感する。
アガスティアの葉が示した「愛を表現できない」という課題は、フィレンツェの芸術を通じて少しずつ克服できている気がする。ミケランジェロのダビデ像やボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を見ていると、言葉を超えた表現の力を感じる。芸術には、言葉では伝えきれない感情を形にする力がある。葉に書かれた「愛に無関心」という指摘は、実は表現方法を知らなかっただけなのかもしれない。フィレンツェの街角で見かける老夫婦が手を繋いで歩く姿や、カフェで楽しそうに会話をする人々の様子を見ていると、自然と心が温かくなる。
振動数トレーニングで感じた高揚感は、フィレンツェの芸術作品から受ける感動とよく似ている。特にウフィツィ美術館でボッティチェリの作品を見た時は、体中に電気が走るような感覚を覚えた。前世で看護婦をしていたという記憶も、フィレンツェの病院博物館を見学した時に鮮明によみがえった。展示されていた中世の医療器具を見て、なぜか懐かしさを感じたのは偶然ではないだろう。カルマ解消のために訪れたインドとフィレンツェは、一見何の関係もないように思えるが、実は深いレベルで繋がっているのかもしれない。
テレビで見たフィレンツェの赤い屋根は、実際に見るとさらに美しかった。朝日を受けて輝く屋根の海は、まるでルネサンスの絵画のようだ。史恵さんがイタリアを愛する理由が、少しわかる気がする。中部地方の料理、特にフィレンツェ風ステーキの味は、どこか懐かしく感じられた。アガスティアの葉に書かれていた「粉」が、この土地の食材と関係しているような気さえする。全ては繋がっているという感覚が、日に日に強くなっていく。
フィレンツェの路地を歩いていると、時折ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。何気ない風景の中に、大切な何かを見つけたような気がするからだ。アガスティアの葉が教えてくれた過去の記憶と、今この瞬間の体験が重なり合う。33歳から35歳にかけての変化は、確かに私をフィレンツェへと導く道標だったのだろう。飛行機が苦手でも、心の準備が整えばきっと乗れる日が来る。その時まで、フィレンツェの写真集や旅行記を読んで、少しずつ準備をしていこうと思う。全ては必要なタイミングで起こる。焦らずに、しかし確実に、その日に向かって進んでいきたい。
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