インドの天文学と神話の世界へようこそ。今回は、九大惑星の一つであるケートゥについて探っていきたいと思います。ケートゥは、月の南側を通る lunar node であり、ガネーシャ神を主神としています。見えざる存在ながら、人々の精神性と深い関わりを持つ重要な星なのです。
ケートゥは、瞑想、スピリチュアルな探求、憑依や心霊現象などを司る星と言われています。占星術の世界では、深淵な思考力や洞察力、精神性を高める一方で、精神的な問題や集中力の欠如といった影響も及ぼすといわれています。黒や灰色、煙のような色合いが結びつけられ、瑠璃石(cat’s eye)がこの星の守護石とされています。ケートゥは馬豆や穀物などを好む星であり、信仰者たちはこれらを供養の品として捧げるのです。
ケートゥは、アシュラ王子スワルナバーヌの体の一部として知られています。ヴィシュヌ神が彼を斬首した際に、その頭部とからだが分離してケートゥとラフーを生み出したと伝えられています。多くの寺院では、ケートゥを蛇の尾を持つ人型や鷹に乗る姿で表現しているのが特徴的です。そうした表現を通して、ケートゥの神秘的で超越的な性質が表現されているのだと言えるでしょう。
ケトゥの神秘的な力
ケトゥはヒンズー教の天体の9番目の星で、月の南側にある月の頂点であると考えられています。ケトゥはガネーシャ神の管轄で、物理的な形はありませんが、逆行する特性を持っています。ケトゥは約1.5年かけて12星座を巡ります。
ケトゥの象徴と影響
ヴェーダ占星術では、ケトゥは宗教、修道生活、犯罪と処罰、隠れた敵や脅威、そして神秘主義を司ると考えられています。また、精神疾患、深い思考、知識欲、状況の変化、精神的発展、彗星、欺瞞などとも関連しています。ケトゥの色は黒、灰色、煙色で、宝石はネコの目と呼ばれるヴァイドゥールヤです。供物には馬豆、7種の穀物、米、馬豆と米の混合が使われます。
ケトゥの神話的由来と象徴
ケトゥとラーフは、アスラの王スワルナバーヌの体の一部であると伝えられています。神話によると、ヴィシュヌ神が不死の薬アムリタを分配する際にスワルナバーヌを斬り首にすると、ケトゥとラーフが生まれたと言われています。ケトゥは人間の上半身に蛇の尾を持つ姿で、旗、盾、棍棒、剣を持っているイメージが一般的ですが、時には秦の鳥に乗り武器を持つ姿でも描かれます。
ヒンドゥー占星術における神秘の惑星 ケートゥの世界
古代インドの神秘的な天文学において、ケートゥは非常に興味深い存在として知られています。ナヴァグラハ(九惑星)の一つであるケートゥは、物理的な実体を持たない特異な天体とされ、精神的、霊的な側面に深い影響力を持つ存在として崇められてきました。インド占星術では、ケートゥは精神性、霊的成長、知識への渇望と密接に関連しており、人間の内面世界に大きな影響を与える惑星として理解されています。その起源は、アスラ・スヴァルナバーヌの物語に遡り、ヴィシュヌ神によって断頭されたその半身は、今日では serpentの尾を持つ人間の姿や、四本の腕に武器を持つ神秘的な存在として描かれています。ケートゥは黒、灰色、煙のような色調と関連し、猫の目の宝石であるヴァイドゥーリヤムと結びついており、深い精神世界への扉を象徴する存在なのです。
ケートゥの霊的な力と人生への影響
ヴェーダ占星術において、ケートゥは人間の精神的な旅路において極めて重要な役割を果たします。この惑星が好意的な位置にある場合、人々に深い叡智、精神性、物質的欲望からの解放をもたらすと信じられています。また、超常的な能力や癒しの才能を授ける力を持つとされ、多くの霊性追求者たちにとって重要な天体とされています。一方で、ケートゥが弱い位置にある場合は、終わりなき不安、視界のぼやけ、集中力の低下といったネガティブな影響も引き起こす可能性があります。神話的には、不死の霊薬アムリタを巡る神々と阿修羅の戦いの中で生まれた存在であり、その象徴的な意味は単なる天文学的概念を超えて、人間の精神的成長と深く結びついているのです。
ケートゥ信仰の聖地と現代的意義
タミルナードゥ州のキーラペルンパッラムに位置するナガナータスワミ寺院は、ケートゥ信仰の中心的な聖地として知られています。この寺院では、毎日4回の儀式が行われ、マハシヴァラートリーなどの重要な祭礼が執り行われます。寺院の背景には、牛乳の海を撹拌して不死の霊薬を得ようとした壮大な神話が横たわっており、シヴァ神が毒を飲み干したという伝説が今も生き続けています。現代においても、ケートゥは単なる占星術的な概念を超えて、人間の内なる精神性、知識への探求心、霊的成長を象徴する存在として尊重されています。寺院での儀式や伝統的な祭礼は、古代からの英知を現代に伝える重要な役割を果たし、人々の精神的つながりを再確認する場となっているのです。信仰は単なる儀式を超えて、人間の内面的な成長と理解への道を開く鍵となっているのです。
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